マチノワ · 2026年 春号
G8-24·2026-06-14·約5分
YANESEN

谷根千を歩く。
谷中・根津・千駄木、東京下町のさんぽ道

地下鉄の階段を上がると、車の音がふっと遠のいた。根津のあたりは坂と路地が入り組んでいて、空が低く、生垣の緑が陽を受けて光っている。猫が一匹、塀の上でこちらを一瞥して、また眠りに戻った。谷中・根津・千駄木——いつしか頭文字をとって「谷根千」と呼ばれるようになったこの一帯は、戦災をまぬがれた古い家並みがそのまま残り、寺の屋根と銭湯の煙突と商店街の幟が同じ視界におさまる。地図を畳んで、足の向くまま歩いてみることにする。

副題

YANESEN / さんぽ

編集

マチノワ編集部

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厳選6

YANESEN / さんぽ

順位ではなく、編集部が選んだ6スポットを順にご紹介します。地下鉄の階段を上がると、車の音がふっと遠のいた。根津のあたりは坂と路地が入り組んでいて、空が低く、生垣の緑が陽を受けて光っている。猫が一匹、塀の上でこちらを一瞥して、また眠りに戻った。谷中・根津・千駄木——いつしか頭文字をとって「谷根千」と呼ばれるようになったこの一帯は、戦災をまぬがれた古い家並みがそのまま残り、寺の屋根と銭湯の煙突と商店街の幟が同じ視界におさまる。地図を畳んで、足の向くまま歩いてみることにする。

SPOT01
神社 · 東京都文京区根津

根津神社

まず足を向けたのは根津神社だった。表参道の楼門をくぐると、朱と黒に総漆塗りされた権現造の社殿が現れる。本殿・幣殿・拝殿をひと棟につなぐこの様式は、五代将軍綱吉の時代に整えられたもので、社殿をふくむ七棟が国の重要文化財に指定されている。江戸の大火や戦災をくぐり抜けて当時のまま残る社殿は、東京の市街地では数えるほどしかない。境内の池のほとりには乙女稲荷があり、傾斜地に沿って朱の鳥居が幾重にも連なっている。鳥居のトンネルを抜けると視界が開け、つつじの植え込みが斜面いっぱいに広がる。例年春に開かれるつつじまつりの頃には約百種が一斉に色づくが、花の盛りや入苑の案内は時期で変わるため、訪ねる前に神社の公式サイトを覗いておきたい。

社殿国指定重要文化財・権現造
見どころ乙女稲荷の千本鳥居/つつじ苑
SPOT02
ギャラリー(元銭湯) · 東京都台東区谷中

SCAI THE BATHHOUSE

根津から谷中へ抜ける路地を東へ進むと、瓦屋根と高い煙突を残す古い銭湯の構えが目に飛び込んでくる。ところが暖簾の代わりにあるのはガラス扉で、なかは天井の高い真っ白な展示室だ。江戸期の創業から続いた銭湯・柏湯が役目を終えたのち、その建物を生かして一九九三年に始まった現代美術ギャラリーで、外観は湯屋のまま、内部だけが洗い場の名残を残す空間に変えられている。下足箱がそのまま受付脇に残っているのが面白い。寺と木造家屋の続く町並みのなかに、突然この硬質な白い空間が口を開けているちぐはぐさこそ、谷中らしい時間の積もり方だと思う。入場は無料だが、開廊時間や日曜・月曜・祝日などの休廊、展示の入れ替え期間があるので、訪問日は公式サイトで確かめておくとよい。

建物元銭湯「柏湯」を転用
入場無料(会期・休廊は公式で要確認)
SPOT03
土塀(国登録有形文化財) · 東京都台東区谷中

観音寺の築地塀

ギャラリーを出て寺町の小道に折れると、片側の景色が一変する。観音寺の境内南面に沿って、瓦と粘土を交互に積み上げた練り塀が四十メートル近く続いているのだ。土と瓦を層にして固め、上から屋根瓦をふいたこの築地塀は、江戸期の土塀がそのまま残る数少ない例で、国の登録有形文化財になっている。塀に手をあてると瓦の縞が指に触れ、長い年月のあいだ風雨に削られてきた表面のざらつきが伝わってくる。観音寺は赤穂義士ゆかりの寺としても知られるが、この道の魅力はむしろ静けさにある。日暮里駅から数分の距離とは思えないほど物音が少なく、塀ぞいの一本道だけが切り取られたように江戸の寺町の気配をとどめている。

文化財国登録有形文化財(建造物)
延長約37.6メートルの練り塀
SPOT04
都立霊園・桜並木 · 東京都台東区谷中

谷中霊園

築地塀の道をさらに行くと、視界がひらけて広い園路に出た。谷中霊園である。十万平方メートルを超す都立の墓地だが、塀で囲われた陰気な場所ではなく、ベンチが置かれ、地元の人が犬を連れて歩き、子どもが自転車を走らせている。明治のはじめ、政府が天王寺の寺域の一部を引き継いで開いた経緯から、園内には今も寺の墓所が入り組んでいる。中央をまっすぐ貫く園路は通称『さくら通り』と呼ばれ、両側から枝を差し交わす桜のトンネルになる。徳川慶喜をはじめ近代史に名を残す人々がここに眠り、墓石を読みながら歩くだけで明治という時代の輪郭が見えてくる。死者の町でありながら生者の日常が淡々と通り抜けていく——その重ならなさが、不思議と心を落ち着かせる。

面積約10万平方メートル超の都立霊園
園路桜並木の通称「さくら通り」
SPOT05
階段・展望スポット · 東京都荒川区西日暮里

夕やけだんだん

霊園を抜けて御殿坂をゆるやかに下っていくと、道の先が急に低くなり、その縁に三十六段ほどの石段が現れる。これが夕やけだんだんだ。高低差はわずか四メートル、傾斜もゆるい小さな階段にすぎないのに、段の上に立った瞬間に足が止まる。眼下に谷中銀座商店街の幟と人の流れがひと続きに見渡せ、屋根の波の向こうに西の空が広がっているからだ。名のとおり日が傾く時間には、商店街の活気と夕焼けが同じ一枚の絵におさまる。階段そのものは何のへんてつもない構造物だが、ここが谷中の高台と下町の境目にあたるという地形の妙が、この眺めを生んでいる。腰かけて夕方を待つ人も多い。

段数約36段・高低差約4メートル
眺め谷中銀座と西の空を一望
SPOT06
商店街 · 東京都台東区谷中/荒川区西日暮里

谷中銀座商店街

階段を下りきると、そこはもう昭和のままの商店街だった。全長百七十メートルほどの短い通りに、惣菜屋、菓子屋、八百屋、雑貨店など六十軒ほどの個人商店が軒を寄せ合っている。チェーン店の看板に染まらず、いまも店主の顔が見える店が連なっているのが、この通りの何よりの持ち味だ。揚げたてのメンチカツやコロッケを片手に、人の肩がふれあう通りをゆっくり進む。台東区谷中と荒川区西日暮里の境をまたいで延びる通りなので、歩いているうちにいつのまにか区をひとつ越えている。猫をかたどった焼き菓子や置物があちこちにあるのは、この町に猫が多いから。最後にもう一度坂の上を振り返れば、たどってきた半日の道のりがそこに畳まれているのが見える。営業日や品ぞろえは店ごとに違うので、目当てがあれば各店の案内を先に確かめておきたい。

規模全長約170メートル・約60店
名物食べ歩き/猫モチーフの品々
編集部のひとこと
坂を下りきると、そこはもう昭和のままの商店街だった。
マチノワ編集部
編集後記

最後に、歩き方

日暮里の駅前まで来て振り返ると、たどってきた坂や路地が夕方の光のなかに沈みかけていた。半日歩いて、有名な何かを見たという実感はあまりない。覚えているのは、千本鳥居をくぐったときの朱の連なり、築地塀の瓦のひんやりした手ざわり、揚げたてのコロッケの湯気——どれも、立ち止まらなければ通り過ぎてしまう小さなものばかりだ。谷根千は、急ぐ人にはただの古い町に見えるのかもしれない。けれど歩く速度を町に合わせると、路地の一本一本が小さな物語のように立ち上がってくる。なお、拝観時間や入苑料、店の定休日は折にふれて変わるので、出かける前にそれぞれの公式の案内で確かめておくと安心だ。次に来るときは、別の路地を曲がってみようと思う。

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